自由と責任

普段はあまり時事には触れないのですが。。
また一つ、悲しい訃報がありましたね。
異性自認を公表し、自分らしく生きたいと第二の人生を歩んでいたryuchell。
kiyoはryuchellのファンでもなんでもありませんが、さすがにこのニュースにはびっくりしたのと同時に悲しい気持ちになりました。
NETでの誹謗中傷、ひどかったですよね。
もちろん、理由はそれだけではないのでしょうが、あまりにも目に余るようなひどいものもあり、当の本人はどれだけ苦しかっただろうかと。
何故、見ず知らずの人にあんなにも冷たい言葉のナイフを向けられるのでしょうか?
顔が見えないから?
名前出さなくていいから?
あまりにも卑劣ですよね。
顔と名前出して堂々と自分の意見を言えばいいのに。
それが出来ない弱くて心の貧しい人たち。
哀れでなりません。
私もこうやってブログで色々を発信していますので、批判ご意見が出ることは重々承知の上でやっています。
多種多様色んな考え方の人が居るんだから、人の数だけ考え方が違うのは当たり前。
あくまでもここは私個人の意見を、自分の備忘録もかねて発信している場なので、他の方に色々言われてもコメントのしようもなく、そんな都合もあって開設当初からコメント欄はオフにさせて頂いております。
自分の言葉に責任をもって、その責任の下で自由に意見を発信させて頂いております。
小学生の頃、道徳で習いましたよね。
「自由と責任」。
個々の責任の下で、皆がその人らしい自由な暮らしができて、そのそれぞれの暮らしに寛容な社会であることを望みます。
※ヒダカ、児童の福祉に少々携わっておりまして、未来の子供たちが少しでも過ごしやすい環境を作る意味でも、ちょっときつめの言葉も含ませつつの、自分も含めた我々大人たちへの自戒を込めて、久々に時事問題に触れさせていただきました。